母の日に思うこと
少し早いが母の日が近いこともあり母を思う。
母は2年前の3月1日に享年108歳で天国へ召された。
カジマヤー(97歳の長寿祝)までは認知症もなく杖もつかず
至って元気に過ごしていた。
しかし少しづつ認知症が入りはじめ
持病のある兄が面倒を看きれなくなって
施設のお世話になったのが100歳を過ぎてからだ。
施設でしばらくは楽しく過ごせていたようだが転倒して
股関節を骨折してからは歩くことも叶わず寝たきりになってしまった。
100歳を越えてからの股関節の手術は
担当の医師もビビッていたらしい。
寝たきりになったものの施設の職員の手厚い看護を受けながら
108歳まで生きた。
65歳の時に夫に先立たれたあと40年も一人で生き抜いた。
でしゃばることもなくかといってシャイな人でもなくおしゃれでしっかりした人だった。
常に前向きで家族思いでネガティブな言葉は聞いたことがない。
人を羨むな!あなたも立派だよ!誰も褒めてくれなくても私が褒めてあげる!
貴女は料理も上手でいつも美味しいごはんをありがとうね!
お風呂を入れてあげるとなんて優しい子供だろう貴女は!
と些細なことにも感謝を忘れない。
早期退職をしたときの励ましの言葉は
もっと頑張ればいいのに!といわれるかと思ったが
これまで仕事と家事育児よく頑張ったね。お疲れ様!これからは旦那様を頼ってゆっくりしたらいいさあ。
と温かい労いの言葉が。
共働きの兄夫婦にバタバタしている兄嫁をみて兄に貴方も家事を手伝いなさい!
と数え上げたらキリがない。
母と生きた時代が懐かしくタイムスリップ出来ればいいのに・・・・
私以外の家族4名が天国へ行ってしまって独りぼっちになってしまった今
思うことは
もっと母にしてやれることはなかったのか?
もっと濃密な時間を過ごすべきだったのでは?
晩年は寂しい思いをしていたのではないだろうか?
(今の自分と同じように)
お母さん天国は住みやすいですか?4人仲良く暮らしていますか?
私を産んでくれてありがとう
80年以上前に撮った母の家族写真。後列右が母。抱っこされているのは末の妹(たった一人存命)
なんでも母が父と結婚するため南洋諸島で漁業をしていた父の元に行くので
記念に家族で撮った写真とのこと。父とはあったことがなかったそう。
後に太平洋戦争が勃発し沖縄に引き上げてくるとはその時は夢にも思わなかったはず。
あと何年生きるか分からないけれどは母に恥じない生き方をしていきたい。